- ホー・チ・ミンさんってどんな人?何をした人?
- ホー・チ・ミンさんはベトナムでなぜ有名人?
私はベトナム人の妻とホーチミンに在住しておりまして、ベトナムに住んでいると「ホー・チ・ミンさん」を見ない日はありません。
なぜなら、ベトナムのすべての紙幣に描かれているほどの有名人だからです。
この記事では、ベトナム建国の父と言われ英雄である「ホー・チ・ミン」氏の歴史や偉大である理由について紹介していきます。
この記事を読めば、ホー・チ・ミンさんがどんな人なのか、かなり詳しくなれますよ!
ベトナムの英雄『ホー・チ・ミン』氏の生い立ち
※Wikipediaより引用
ベトナムの英雄『ホー・チ・ミン』氏はこんな人
- 幼少期に外国語を修めて語学堪能。
- 30年もの間、海外で暮らす。
- ベトナムの初代国家主席。
ベトナムの英雄であるホー・チ・ミン氏の生涯を詳しく解説します。
ホー・チ・ミン氏の幼少期:中国語とフランス語を修める
ホー・チ・ミン氏は、1890年にベトナム北中部のゲアン省ナムダン県の貧しい家で生まれました。
その時、既にベトナムはフランス統治下にありました。
まずは中国語を習得
家は貧しかったものの、父の儒学者、グエン・シン・サックの影響で、幼少期から論語の素読を通じて中国語を習得しました。
続いてフランス語も習得
その後、父がベトナム王朝の「阮(グエン)朝」の宮廷に仕えることになり、当時の都であったフエへ移り住みます。
フエでは官吏養成学校に通い、フランス語も習得しました。
ホー・チ・ミン氏の青年期:世界を回って政治活動を開始
1911年、ホー・チ・ミン氏が21歳の時、フランスの船の見習いコックとして採用されて、フランスへ渡ります。
これはホー・チ・ミン氏の長い海外生活のスタートに過ぎませんでした。
正式に船員となり、30年間海外で生活する
その後「世界を見てみたい」と思ったホー・チ・ミン氏は船員となり、30年間フランス、アメリカ、イギリスなどを渡り歩きました。
徐々に政治の世界で影響力を発揮し、世界的に有名になる
世界を回りながら、各国で共産系の政党立ち上げに関わっていきました。
ホー・チ・ミン氏は徐々に影響力を発揮していきますが、特に彼の名を一躍有名にしたのが、フランス社会党に在籍していた時に発表した「安南(ベトナム)人民の要求」という請願書でした。
ホー・チ・ミン氏の帰国後の活躍
1941年、ホー・チ・ミン氏が51歳の時、30年ぶりにベトナムへ帰国しました。
帰国当時ベトナムはフランス統治下にありましたが、第二次世界大戦が始まってからは日本がベトナムを事実上統治していました。
そんな中、ホー・チ・ミン氏は『ベトナム独立同盟会(ベトミン)」を組織し、主席の立場でベトナム独立のために尽力していくことになります。
第二次世界大戦直後(1945年)の活躍
1945年8月15日に、当時ベトナムを統治していた日本がポツダム宣言を受諾したことにより、ベトナムは事実上無政府状態になります。
ホー・チ・ミン氏はこれを受けて、翌日には全国的な蜂起を呼びかけて、『ベトナム八月革命』が開始しました。
ホー・チ・ミン氏率いるベトミンは各地を掌握していきます。
1945年8月27日にはベトミンを再組織して『ベトナム民主共和国臨時政府』が成立し、ホー・チ・ミン氏は首相兼外相となります。
1945年8月30日には、日本の傀儡国家となっていた阮(グエン)朝・ベトナム帝国が滅亡。
1945年9月2日に、ホー・チ・ミン氏はベトナム独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国を建国して国家主席兼首相に就任しました。
9月2日は『建国記念日』として祝日に制定されているほど、ベトナムにおいて重要な日に位置付けられています。
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インドシナ戦争での活躍
しかしながら、ベトナム民主共和国は世界的に独立を承認されず、南部にフランスがコーチシナ共和国を樹立することで、ベトナムは再びフランスの支配下に置かれました。
1946年12月17日、フランスがベトナム民主共和国への攻撃を開始し、2日後の12月19日にホー・チ・ミン氏が抗戦を開始したことで、第一次インドシナ戦争が開戦。
ベトナム民主共和国軍はフランス軍を圧倒し、1954年にはジュネーヴ協定が成立することでフランス軍はインドシナ半島から撤退しました。
ホー・チ・ミン氏は、この戦争の間に「ベトナム労働党」の結成を行い主席となります。
ホー・チ・ミン氏は名実ともに最高指導者という立場にあったものの、決して独裁体制を敷くことはなく、ベトナムのためにさらに尽力していきます。
南部の支配国がフランスからアメリカになった後、南ベトナム解放民族戦線を結成
フランス軍がベトナムから撤退した後、ベトナム南部に新たにベトナム共和国が樹立され、南部は実質的にアメリカの支配下に置かれます。
ベトナム共和国の独裁に反抗する声も多く、「南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)」が結成されます。
ホー・チ・ミン氏が主席のベトナム労働党はこのベトコンに積極的な支援を行い、独立のためアメリカ軍と激しく戦うことになります。
これがベトナム戦争です。
ベトナム戦争ではホー・チ・ミン氏が表立ってリーダーシップを取ることはありませんでしたが、ラジオ演説などで国民を励まし続けました。
そしてベトナム戦争が終わる6年前の1969年に、79歳で心臓発作で亡くなりました。
ベトナムの英雄『ホー・チ・ミン』さんはなぜ英雄なのか?
ホー・チ・ミン氏は、独立が認められず様々な国の支配下となっていた、混沌としていた時代のベトナムを独立へ導いた政治家です。
彼の功績には賛否があるものの、汚職と無縁で、自身の神格化を嫌った人柄は、今でもベトナム人から愛されています。
ホー・チ・ミンさんは南部の大都市であるホーチミン市の名前に採用されている
ベトナム南部の経済都市であるホーチミン市は、昔は「サイゴン」という名前でした。
ホーチミン市はその名の通り、ホー・チ・ミン氏から名前を採用しています。
ベトナムが独立した後の1976年に、ホー・チ・ミン氏にちなんで改名しました。
ホー・チ・ミンさんはベトナムのすべての紙幣に描かれている
ベトナムのお金は現在すべて紙幣ですが、そのすべてにホー・チ・ミン氏が描かれています。
>> ベトナムの通貨ドン(VND)について在住者が詳しく解説!【ベトナム人監修】
このことからもホー・チ・ミン氏の偉大さを伺い知ることができます。
ホー・チ・ミンさんの歌がある
水曜どうでしょうのベトナム縦断編で、ニャンさんが歌っていたのが「ホーチミン師」という歌です。
水曜どうでしょうが好きな人にはかなり有名な歌ですが、これは実はホー・チ・ミンさんを称える歌です。
【ベトナムの英雄『ホー・チ・ミン』さんとは?】まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、ベトナムの英雄『ホー・チ・ミン』氏の生い立ちの歴史、そして偉大である理由について紹介しました。
ベトナムの紙幣すべてに描かれていたり、市の名前になっている他にも、ハノイにはホー・チ・ミン氏の遺体が安置された「ホー・チ・ミン廟」があり、その存在の偉大さを知ることができます。
ベトナムを訪問される際は、ぜひベトナム建国の父であるホー・チ・ミン氏の歴史も勉強してみてくださいね!
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